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手話と耳ツボと人工内耳

【3月3日は耳の日】
大阪で、介護脱毛と耳ツボ療法をしています。
きのうは耳の日でした。3と3で👂ですわ。
私が耳にかかわるのは、妹が中途失聴で15年手話で会話をしていたからなんです。
個人通訳もしていました。(一輪車の指導員時代、大会で、通訳をしたことが何回もありました)
私が手話サークルにいたのは17年間でした。
親の介護がきっかけで仕事とサークルとの両立も厳しくなりボランティアをやめました。
今は
妹は人工内耳手術のおかげで、補聴器を使って普通に会話できます。
便利な時もあるんですよ。
温泉に行くと、妹は補聴器を外します。で お風呂に浸かりながら、手話で会話をしています。
私自身は
重度の花粉症で40年苦しみ、
2015年に耳ツボ療法に出会い、すごく楽になりました。
もっと早く知っていれば色んな不調(更年期とか)を楽にできたのに、って思います。
サロンで、手話で相談できますよ。
調子の悪い方、ご相談くださいね。横堤駅徒歩1分のプライベートサロンです。
(鶴見区民センターの駐車場正面2階です)
突発性特発性難聴?
妹が
聞こえにくかったのは、高校生の時からでした。
大好きな英語の先生の時間なのに、最初の20分しか集中力が持たず、あとは、寝てしまっていた、という⁈
その後なんとなくやっぱり聞こえにくいなぁ、と言いながら、なんの対処もせずでした。
でも
耳鳴りはずっとあったようです。
妹は短大生の時、
スイミングスクールのインストラクターのバイトをしていました。
(妹は運動神経抜群だったのです)
長い髪を
濡れたまま、バイクで帰ってきていました。
人間って
弱い所に不調が出ます。。
常に風邪をひいたような状態が続いて、耳がさらに悪くなりました。
結局、
バイトもやめず、体育の先生にもならず、パソコン相手で仕事できる会社に勤めて結婚します。
で、
1人目の男の子が2歳の時、
「姉ちゃん、なんか聞こえにくいねんわ」と、言いました。
「補聴器が具合悪いんか?」
「いや、どうも私の耳みたいやわ」という事で、
2歳の子を預かり、妹は耳鼻科に行きました。
〔突発性特発性難聴〕ということで、ステロイド治療も虚しく、ほとんど両耳100dB(100デシベル、クラクションの音)が聞こえ無くなりました。
FAXが唯一の連絡手段
障害者認定3級、ということで手当てが出ることに。
でも、
「障害者年金なんていらんから、もう一度聞こえるようになりたい」と滅多に泣かない妹が泣きました。
それから、
色んな治療を受けに、あちこち行きましたが、結局聞こえないままになってしまいました。
実家と妹の家と私の家とにファックスを入れました。
補助金は1台分しか出なくて、高かったので痛い出費でしたが、妹と連絡を取るには、当時それしか方法がなかったのです。
妹はそのあと、「もう薬も飲まない」ということで二人目の男の子を授かりました。
手話サークルで
たまたま、私の息子のママ友が、近所の手話サークルで会長を務めているというので、仲間に入れてもらい、
手話を始めました。
私は聞こえます。
けど、妹は聞こえないので、
「え?今なんて言わはったん?」ということが多々あり、家に帰ってからも2人で必死に復習しました。
中途失聴者や難聴者が手話を学ぶのは大変なのです。
下の子を連れてサークルに行った時もあります。
冷蔵庫には大きな「あいうえお表」を貼り、それを指差ししていました。
この下の子は結局 単語ではなく指文字で覚え、母親(妹)に意思を伝えていました。
上の子は5歳くらいから妹の代わりに電話対応していました!
そうこうするうち、
コクレア社から、良い人工内耳が発表され、日本でも補助金を受けて手術することが可能になりました。
ちょうどその時、妹の子は上が高校3年生、手術を受ける総合医療センターも、通っている高校のすぐそば。
下の子も中学2年生。
皆、近所に住んでいるし、タイミング的にも「ちょうど良い」ということで、
母が、
毎朝、妹に家に行きお弁当を作り朝ごはんを食べさせて学校へ送り出す。
私は、帰ってきた子供達に自分の子も入れて4人しっかり晩ご飯を食べさせる、
(テーブルが4人掛けなので、夫と私は後で食べた)
を
2週間続けて、妹、無事退院。(妹の夫は、下の子が10歳の時に他界)
そこからは、「音入れ」と「マッピング」と言って、
補聴器が拾える音の「22音」を自分の頭の中の回路とつなぎ合わせていく作業をします。
ほら、私たちが知らない言葉を聞いたら、聞こえてるけどわからない。。
例えば
スペイン語や日本語でも地方の言葉は意味わからないでしょ、あれと同じなので、分かるように機械の調整していきます。何度も通院しました。
6月の手術後、
初めての夏に妹は「せみの鳴き声ってこんなにうるさかったんや!」とか
「ゴミ収集車の音楽って15年前と変わってないんや」などと感激してました。
普通は2年近くかかるらしい、言語が理解できるようになるのには。
けれど、
妹は先天的に聞こえないのではなく中途失聴なので、国語はできているし、子育て中なので毎日しゃべる。
それに、
大好きだった「KinKi Kids」の歌をガンガンかけて、歌詞カード見て理解しようと努めた甲斐があり、わずか2ヶ月で、言葉として聞き取れるようになったのです!
耳って
あの時に、
もし耳つぼのことを知っていたら、もうちょっと何とかしてやれたのになぁ。と思いますが。
妹の場合、
蝸牛の組織が壊死していたから、どうしようも無かったのです。
耳ツボ療法は、治すわけではないので。
まあ、そんなこともあり、
私が自分の重度の花粉症を楽にするのに「耳ツボ」に行き着いたのも何かの縁かなぁ、と思っています。
妹自身は、アメブロで
「聞こえのステップアップ」として記事を書いていますので、興味のある方はそちらもどうぞ。検索すればすぐに出てきます。
https://ameblo.jp/komt33/entry-12449004351.html?frm=theme
誰かのお役に立ちますように。
携帯電話をいち早く導入したのは?
手話サークルで感心したことは、ろう者(耳の聞こえない人)がいち早く携帯電話を持ったことでした。
外出するとFAXがないので連絡ができない。
携帯電話なら文字で送れる。
単語を並べただけでも、いつどこで何時に誰と、などの情報が交換できます。
一昔前なら、
駅の伝言板で「先に行きます」とか書いていたけど。
きっちり待ち合わせしてないとよくすれ違いになってましたね。
そして、
携帯電話が普及し始めると、今度は動画で見られるようになり、
ろう者たちは、なんと片手で電話を持ち、片手で手話をして会話していました!
すごい!
それが当時60、70代のおばあちゃま達ですよ!(サークルの聾者)
私も携帯電話を持ち、ろう者と待ち合わせする時に同じように活用しました。
今は、
スマホになってメールではなく、LINEで簡単に連絡が取れるようになりましたね。
私のサロンでは、ありがたいことに時々耳の不自由な方も来られます。
整骨院時代にもいつも何人か来られていました。
手話が通じるから、喜んでくださるのです❣️
今でも妹と温泉に行ったときは手話で会話していますから。
エステも脱毛も耳ツボもお任せくださいね。